足利政知・足利茶々丸・足利義維
足利政知は、室町時代後期の足利氏一族で、初代堀越公方である1435年7月13日室町幕府第6代将軍・足利義教の次男として生まれる。
母は斎藤氏。
第7代将軍・足利義勝の異母弟で、第8代将軍・足利義政と足利義視の異母兄。
子に第2代堀越公方となった足利茶々丸、足利潤童子、第11代将軍となった足利義澄、小田成治の養子となった小田政治など。
室町幕府公認の関東公方として下向するが、幕府権力の衰退と上杉氏の内紛などで鎌倉に入れず、伊豆国の堀越公方にならざるを得なくなる。
このため、終生関東で勢力を振るうことは無かった。生涯永享7年・1435年、第6代将軍・足利義教の子として生まれる。
幼少期から天竜寺香厳院の僧となったが、長禄元年・1457年に還俗する。
これは弟の第8代将軍・足利義政の命によるものであり、義政の名代として関東に降り、足利成氏を牽制することを目的としていた。
こうして、幕府公認の鎌倉公方として京を出発するが、成氏の勢力が強大なことと関東管領であった上杉氏内部で政知擁立に異論が出されたため鎌倉に入る。
母は斎藤氏。
第7代将軍・足利義勝の異母弟で、第8代将軍・足利義政と足利義視の異母兄。
子に第2代堀越公方となった足利茶々丸、足利潤童子、第11代将軍となった足利義澄、小田成治の養子となった小田政治など。
室町幕府公認の関東公方として下向するが、幕府権力の衰退と上杉氏の内紛などで鎌倉に入れず、伊豆国の堀越公方にならざるを得なくなる。
このため、終生関東で勢力を振るうことは無かった。生涯永享7年・1435年、第6代将軍・足利義教の子として生まれる。
幼少期から天竜寺香厳院の僧となったが、長禄元年・1457年に還俗する。
これは弟の第8代将軍・足利義政の命によるものであり、義政の名代として関東に降り、足利成氏を牽制することを目的としていた。
こうして、幕府公認の鎌倉公方として京を出発するが、成氏の勢力が強大なことと関東管領であった上杉氏内部で政知擁立に異論が出されたため鎌倉に入る。
update:2010年03月10日
