植民市 ≪ギリシア・歴史・民族≫

古代ギリシア、ローマで、植民者が建設した共同体。

ギリシア人は、紀元前14~前13世紀に小アジア西部に植民市を建て、キプロス島、シリア、南イタリアに貿易拠点を設け、前12~前10世紀にはエーゲ海の島々、小アジア西岸、キプロス島などに大規模な植民を行ったが、前750~前550年ごろ、さらにそれらを上回る植民活動を展開した。

植民市を建設するポリスは母市とよばれ、しばしばとくにデルフォイの神託を伺って、植民市の位置と植民の指導者を選定した。

植民の主要な目的は、母市において土地を失った市民の新たな農地獲得にあったが、貿易基地の建設を目的とする場合もあった。

植民市が多く建設されたのは、現地に有力な政治勢力がない地域か、ギリシアと気候風土の似た地域であった。

カルキス、エレトリア、ミレトス、コリント、メガラ、テラ、フォカイアなどの母市が、南イタリア、シチリア島、エーゲ海北部、ダーダネルス海峡、マルマラ海、黒海、北西ギリシア、アフリカ北岸東部、フランスとスペイン南岸などに集中して植民市を建設した。

それらのなかには、ビザンティオン、ネアポリス、マッサリアなど、現在も大都市として繁栄しているものがある。

植民市は、方言、祭儀、制度などさまざまな面で母市と結び付いていたが、政治的には独立のポリスとなり、この点がローマの植民市との最大の違いであった。

しかし、アテネが前6世紀末から前4世紀までデロス同盟の離反ポリスの土地などに建設したクレルキアklerouchiaとよばれる植民市は、独立のポリスではなく、農民兼守備兵としての植民者はアテネの市民権を保持した。

また、マケドニアのアレクサンドロス大王とヘレニズム諸王国、とくにシリア王国の王たちは、主として軍事目的から多くの植民市を建設したが、それらは東方におけるギリシア文化の中心となった。

エジプトのアレクサンドリアが最大の代表である。

なお、ローマの植民市は、前4世紀以降、守備隊配置、植民者への農地賦与などの目的で設けられ、植民者がローマ市民権をもち続けるローマ市民植民市と、植民者が新しい植民市の市民となるラテン人植民市との2形態があったが、後者もローマとは密接な関係を保持した。
update:2010年02月01日